女川・三十三観音巡り(三十番碑~三十三番碑)


文政七年(一八二四年文政七年(一八二四年)、独国和尚が「五穀豊穣、天下泰平」を祈願して建立した三十三基の観音碑。病気、天災、海難など、それぞれの観音碑が難を救済するといわれ、地元の信仰を広く集めてきました。石碑は尾根づたいに並び、その約1.8Kmの遊歩道が新しく整備され、平成四年に完成。豊かな自然に囲まれ、展望の美しさも加わり、歴史散歩の道として親しまれています。
※三十三観音巡りは5ページで構成されています。全編を閲覧するにはここから
独国和尚についての詳細
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※左には「おながわBook」による観音名を記載しました。現地看板の表記による。
右側には「女川町教育委員会」による観音名を記載しました。
三十番碑・一如観音(いちにょかんのん)          千手観音
三十一番碑・不仁観音(ふにかんのん)          聖観音
三十二番碑・持蓮観音(じれんかんのん)          不空羂索観音
三十三番碑・灑水観音(しゃすいかんのん)          聖観音
夫婦杉
※震災後傾いたり埋没していた観音碑及び看板は2・5・9・10・12・14・16番碑のようです。その内、12番碑だけが不明ということです。~女川町教育委員会資料より~

今回の三十三観音巡りは2012年8月14日、独国和尚の末裔と言われている同級生の案内で回ってきた。天候が少し不安定で湿度も高く大汗をかいての観音巡りであった。
近くには白山神社があったとされる場所に案内され、当時の津波の状況の説明を受けた。神社は取り壊され、新しく建設する為、現在資金援助を全国に募っている
三十三観音の逸話 :最後の三十三番碑は以前は、二十五番碑~三十二番碑が建立されているところにあった。しかし、転げ落ちては戻し、何度戻しても転げ落ちるので
独国和尚の墓碑がある補陀閣(独国和尚の庵寺)の中に並んで置かれるようになった。
庵内には第三十三番観音碑、独国和尚墓碑、本尊観音像碑の3つの石碑があります。
※ 補陀閣は山道入り口より手前の少し離れた所にあり、東日本大震災の大津波で浸水し、大分荒れていたが墓碑や観音碑はしっかりと残っていた。同行した友人の生家もすぐ近くにあり、独国和尚直筆の「龍」と言う掛け軸共々津波で流された。

「独国和尚」年表

宝暦十二年(1762年)                       女川浜鍛冶屋(木村家)に生まれる
/                                  享和二年(1802年)
/                                塩沢無涯(利作)と出会う
/
/                                文化四年三月(1807年)
/                                  差塩  妙典-字石-行三霊塔建立

文政七年(1824年)          三十三観音建立(女川山地内)

文政八年(1825年)          金比羅大権現碑建立

文政十三年(1830年)         福島県川寒の塩沢家で入寂
(天保元年)                       天保十八年八月発行の信達一統志(志田正徳著)
/                                                            「独国和尚という和尚があった、この僧は米沢分殊
/                                                         薩摩に祈祷を込め仏教の真密を覚った近代の名僧
/                                                                 である。」と記されている。

~女川町教育委員会・生涯学習課資料より~

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