~一年ぶりの女川帰省~


無事、宮城から戻ってきました。
一年振りの帰省がこんなことになるなんて思ってもいませんでした​が、
現実を見ることが出来て何よりもよかったです。

子どもも小さくて帰りたくても帰れない状況で、
震災から四ヶ月以上ぶり。やっと女川に帰れました。

帰れたといっても、滞在時間は4時間。
皆さんと同じ、家があるわけでもなく本当の意味では「帰った~!」とは、
とても言えない状況でした。
でも海や山はそのままで、やっぱり私の家はここだなって思いました。
海も静かでいつもどおりで、どうしてここがこんなことになったのかは、
行って見ても答えの見つかるものではありません。
それはきっと皆さんも感じることでしょうね。

四ヶ月間女川在住の方々から、画像や映像を沢山送っていただき、
ありがたかったです。
皆さん、被災して大変なのにツイッタを通しての情報提供を下さって
ありがとうございました。

すべてを承知しての帰郷でした。
駆け足で、あの小さな街を見て回りました。
女川の平地は本当に何もありませんでした。
画像で見た建物も、いくつか更地になっていました。

町立病院駐車場から朝日に輝く女川湾を父と主人と子どもと見ながら、
でもやっぱりここに帰って来たいなって思いました。

清水、伊勢地区も既に更地で、瓦礫が仕分けされ、木材、コンクリ、鉄筋、家電がそれぞれ山になっていてあの中に家の物があるかもしれないと思うと目で探してしまいます。ひっかかっている布切れも、うちのものかなと目で追っています。

その辺りは小学校の同級生の家、あの辺りは工場のあったところ…。
トラックが慌しく行きかって、ここは一体どこなんだか、わからなくなりそうでした。

海岸の自宅跡も行きました。とてもただいまっていえませんでした。
道路の盛土工事が進んでかさ上げされ、その分だけビルの跡は沈み込んで、
水が溜まって、ハエを沢山見かけました。(でも巨大ハエではなく、小振りのハエ)
役場や生涯教育センターが異常に近く感じられました。

国道を渡った酒井書店の辺りに、
家のビルの破片の山(らしきもの)を発見し、​ふたつ持って帰りました。
五歳から住んだ家。私のものをしっかり持って帰ってきました…。

ツイッタでお世話になった方々にほとんど初対面でお会いし、
みなさんが素敵な笑顔で迎えてくださったのはとても嬉しいものでした。

プールサンダル支援で女川サポーターの方々にご協力いただいた物資の確認に
女川第二小学校にも行きました。
確かにサンダルは届いていて、サイズ分けされ、職員室前に置かれていました。
前日(25日)に保護者にメール配信し、取りに来るように情報を流したと阿部教頭先生からお話を聞きました。

「ふんばろう」さんから個人的に送られた方には、直接お礼が届くそうです。
「復興市場」さんから送られた方は後日ブログにお礼が掲載される予定です。
ご協力ありがとうございました!

女川は海も山もいつもの静かな姿で何も変わっていませんでした。
やっぱり私の家はここだなって思いました。

本当に女川は何もないです。被災地全体そうです。
今朝も女川の後輩達がツイッタで忘れられるのが怖いと言っていま​した…。
でも反面、女川出身で仙台在住の同級生は仙台で普通に暮らしてい​ると、
女川が今でも大変って事を忘れてしまう…と言っていました。
それもそうだなって思います。

東京に戻っても考えるのは女川のことばかり、
おとといも夜、一人で津波の映像を眺めていました。

女川ってほんとにいいところだなって、
つくづく思う毎日です~。
☆写真は町立病院駐車場 私と父と主人 子どもが撮影しました。
長くなってしまいました。
どうしましょう~。
撮影・記事:@DAIMONJIMATAKO

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