1歳のホヤです!

1才のホヤです。    by  hiroko
牡蠣の殻につけて成長中。この日は一度海からあげて、殻のまわりについた海草や貝たちを取り除く作業をしていました。寒いなかご苦労様です。

女川太鼓連「まむし」in浜離宮

2012年9月29日、女川太鼓連「まむし」&(東京支部)が東京都「浜離宮恩賜庭園」で盛大に舞踊りました。このイベントは、「第29回・全国都市緑化TOKYO」の一環として、「現在(いま)に生きる伝統の風」をテーマに開催されました。
女川からは10月20日(土)の「おながわ秋刀魚収獲祭in日比谷」として日比谷公園で開催されるイベントに向けての熱気あふれる舞となりました。被災地・女川は未だ復興途上であり、全国からのご支援を受けなければなりません。女川太鼓連「まむし」はそんな大きな被害を受けた「女川をいつまでも忘れないで欲しい」と言うおもいで活躍されています。また、女川太鼓連には東京支部として神奈川、東京方面の方々が加わり、大きな支えとなっています。
台風17号が近づく東京・浜離宮恩師庭園の澄み切った空に、蛇頭の雄叫びが響き渡り、周りの空気も浄化されるような声がとても印象的でした。

 

「たげな新聞」秋号+特別版 第三号発行!

お待たせしました「たげな新聞」2012年9月秋号 第三号 発行!!
たげな(※女川町竹浦(たけのうら))の歩みと今がわかる、たげな新聞。
小さな浜の小さな歩み…。たげなもがんばってっちゃ~。
今回は特別版もあります!
※写真をクリックすると少し見易くなります。オリジナル版は.pdfを活用下さい。
情報提供:suzuki masakosuzuki masako    9月・秋号.pdf  9月・特別版.pdf
No.1
tagena_9_1No.2
tagena_9_2

特別版No.1
tagena_tokubetu_1特別版No.2
tagena_tokubetu_2

編集後記:津波で家も仕事も家族も奪われ、心身ともに疲れ果てている中で更に集団移転という重要な問題を抱え、益々地域住民が一つになって丁寧に議論し、山積みされた問題を解決していくことが重要だと感じました。
特別版は地域住民が力を合わせ復興に取り組む様子と回復して行く綺麗な海の様子や生物などの写真がとても素晴らしいと思いました。

南三陸さんさん商店街

まりまど@marimandona262


昨日行った、さんさん商店街。中央にイートコーナーがあって各々好きな食堂やお店で買った物を座って食べられるのは良いアイデアたなぁ。キラキラ丼の食べ比べができる。鯨やタコの竜田上げや焼きそばを売る屋台があるのも観光客には良いなぁ


南三陸の海岸を車で通り過ぎた時に車椅子にのったお婆さんが誰かに手伝われながら岸壁から海を眺めていた。仮設にいるのか、内陸に引っ越したのか。でも志津川の海が見たかったんだなぁ。私も無性に岸壁から女川の海を眺めたくなる時がある。防災目的とは言え壁のごとき防波堤なんて私は嫌だなぁ。

南三陸キラキラ丼 ※ウニはオプション

南三陸さんさん商店街の絆ロール、わかめ味!!どんな味か警戒してたけど本当に美味!!わかめの塩味とコリコリ感が生クリームと絶妙に合う。これはお薦め。

震災歌集「地津震波」 佐藤成晃 作



走れよと妻の背中を突き出してつんのめつた手で津波を掴む

片足を脹脛まで濡らしつつ津波免れき生きねばならぬ

4GBのメモリーも家ごと流されぬ私の記憶根こそぎ連れて

集落に残りし家は四、五軒か子らのふるさと捨てねばならぬ

生き死にを訊ねて歩く町角に相抱くありともしきまでに
子や親に無事を伝ふる手だてなし伝言頼む人探し歩く

常備薬持たで逃げきて避難所の冷たき床に眠るもならず

五秒差に生かされて雑居の中に覚むどの神仏か我を救ひし

生存を伝ふる手立て無き我は死なされてゐむ死んでたまるか

津波ののち三日見えざりしウミネコの声が聞こゆるいづことも無く
寒き寒きひもじき夜の避難場所見知らぬ人と背中合はせに

避難所の毛布の中にたまさかに触れしは妻の足か犬を隔てて

溺死体を話題に飯を食らふまでに感情なべてほとびしならむ

津波引きし集落に家五軒無し遺体探しに半日歩く

家跡の瓦礫の中に逆さまの三本足のピアノの裸体
べた凪の湾に浮かべるガラクタの我かも知れず津波後七日

過失なくて家流されしむなしさよ七日着のまま便すら出でず

生き残りし者の務めの人探し瓦礫の下に今日は十七体

三・四本指立てて縁者の亡きを言ふ瓦礫の道に雪に降られつつ

歌詠むにうつつ抜かすと言はれても詠むべし三十一字の現実
幾百の家飲みし湾の凪ぎわたり陽を返しをり眩しくてならず

残骸のきり無き町を歩きあるき縁者三人探しあぐねき

十日経て諦めきれねど行方不明者捜索願ひに義姉の名を記す

遺体安置の倉庫をはすに見しのみに帰りきぬいつか行かねばならぬ

たまさかに高笑ひすれど眠剤に夜夜を縋れる妻の小さし
紅梅の下に立つとも美女ならず家攫はれて十日半白の妻

うがひする水さへ節約せねばならず十日を経つつ余震に眠れず

易々と海が持ちさりし我が家を幾たび思へど酔ふ酒もなし

亡き者の残しし野菜も食らふなり生きねばならぬ故のひもじさ

肉親の安否尋ぬるラジオの声戦後「尋ね人の時間」のやうに
比重「1」の水の力が攫ひゆく車や家やたちまちに無し

相抱き無事を喜ぶ声やよし千人も不明の町の避難所に

連れて逃げし犬一匹に遊ばれて避難所暮らしの午後のなごまし

家跡に流れつきたる遺体二つ三日晒され運ばれゆきぬ

避難所の医務室にもらふ降圧剤三日分なれど今日のたまもの
家跡にもう立つまじと言ふ妻の前向きといふことにもあらず

着のままの十日を経つつ六人の老いらが語る生の濃淡

救援食にまぎれて届く新聞も忙しやリビア・原発・株価

血縁の九体いまだ浮かび来ず津波後十日の湾凪ぎたれど

過去持たぬ一人の我を証明する紙一枚をおし頂きぬ
渡りきて燕はいかに迷ふらむ巣籠る家のひとつだに無し

頻脈に苦しむ妻を遠くより見さだめてをり余震のたびに 

摩耗せし信女の石も踏みつけて水汲みに行く避難暮らしの

賞味期限あるなしいづれ支援物資をいただきて帰る老い六人の

膝下を津波にしゃぶられ寒かりき夢と見てゐし家流るるを
睡眠剤飲んで四時間眠らせた体にしみる今朝の味噌汁

甘つたるいお菓子のやうな避難食呑み下さむに渋き茶もなし

梅干や沢庵が欲し甘味無き戦後のひもじさ知れる体は

「がんばるな」と子らの電話のいくたびか頑張るしかない避難所暮らし

カードなし通帳印鑑免許証なし電話通ぜず寝る所なし
浮かび来る遺体を捜す船いくつ鏡なす湾を左へ右へ

着のままの身を伏せたれど眠り来ず三週湯浴みを知らぬからだに

弥生末のもどりの寒さ耐へがたし千の死体のある町の朝

満天の星仰ぎつつ放尿すからだも心も原始のむくろ

愛でなし義務ですらなし義姉の遺体探すと歩く二十日経てまた
不明者の遺体安置所訪ね歩く日に一つづつ三日続けて

我を待つ遺体は三つ二十日過ぎてまたバスに乗る遺体探しの

波に揉まれ引きかけ傷の跡あまたどれも義姉の遺体たらはず

遺体写真二百枚見て水を飲む喉音たてずにただゆつくりと

「遺体などもう探すな」と言ふやうな夢を見せてよせめて妻には
顔の体(てい)なさざる遺体の二百枚めくりめくりて戻り来しのみ

人間の判別できぬ遺体写真三日めくりて義姉をあきらむ

安置所をめぐり空しく帰りきては酒もて満たすほかなき体

人目避けて木陰にすするワンカップのしみじみと沁みる震災二十日目

住む家を持てざる我が花粉症の鼻水すする七十四歳
家がある前提の思惟をまた訂す家攫はれて二十日過ぎしが

一冊も持たぬ素寒貧のほちやれ者家攫はれしは二十日前なり

罹災証明受けむと並ぶ二時間半七十二番札今日午前の部

罹災証明五枚をいただき帰る道家なき者を吹く海の風

貰ふことに慣れぬ体をもてあます食ふ列に並ぶ一たびもせず
排便のできぬ体になりはてて食後食後に飲む下剤二種

「ライフライン」などと間接にもの言ふな飲む水がない寒くてならず

差し込まむ穴無き鍵の捨てられず流されし家の玄関のカギ

避難所を逃れて憩ふ子の家の電気の明りに目が開けられぬ

避難所の四十日を 限に逃れきて娘の家に熱を病む妻
花持たで彼岸の過ぎし墓に来ぬ家攫はれしを告げねばならず

催眠薬を酒に溶かして呑む幾夜家流されしを夢となすべく

生きてゐる妻を悼める文も来ぬ地震津波のどさくさの中

アドレナリン使ひ果たしし身のだるさ歩くにいまだ平衡かしぐ

身と心向き向きの体の不可思議を限界として呑む熱さまし
傍らに今宵も眠る一匹を抱いて逃げしを幸ひとせむ

〈被災者〉の心放たむこころみの妻とのドライブ今日六時間

被災者を励ます映像いくそたび倦みしよ憐れまれゐる今の己れに

子を頼らぬ生き方さがす宵々の妻の言葉の今宵温とし

不整脈病む身となりて気だるきに車をとばす家なき郷に
被災せし蔵よりの酒「男山」大吟醸の生きよと沁みる

遺体なき共同葬儀の末席に義姉を送りぬ百日過ぎぬ

ちち母の生命保険奪ひ合ふ噂三つ四つ百日過ぎて

避難所の数限りなくそして又たつた一つの願ひは眠り

遠く呼ぶ電話の奥の涙声わが生きてゐることをよろこぶ
攫はれし通帳証書免許証再発行されぬ 命無きものは

思ひ出の品一つなき賃貸の部屋に戯れあふラッセルテリアと

落人の夫婦のごとく人目避けて暖簾をくぐる朝飯食ふと

わが 終(つひ)の住み家か知れぬ賃貸の3Kに覚む梅雨の朝朝

家跡に立てば顕ちくる幻の亡父の桜の散りやまぬかな
いかほどのセシューム吸ひしや息らを訪ふ五時間福島妻とのドライブ

温泉に一夜浸かりし身の軽さ震災五カ月終戦記念日

次々に遺体浮かべば続けざまに葬儀に並ぶ週に四日も

朝夕を犬に引かるる四十分名取川左岸をエリアとなして

約束を持たで生きたき我がままを譲らず津波の被災の後は
遺体なき葬儀の知らせ四度五度一家に五人亡き今日の葬

憐れまれゐるらむ我と妥協して出て来ぬいやしく酒を飲むため

聖人でも君子でもなし励ましの言葉よりもつと欲しきものあり

読み終へねばならぬ物など無き日々の気だるき午後のための通り雨

グーグルにさらされてゐる家跡にコスモス二合の種撒き帰る
催眠剤効かぬからだに呷るごと二合をそそぐ妻寝ねし後

ボランティアのうどんを食ひし証とぞ手の甲に残る赤き油性マジックペン

自らの言の刃(やいば)に大臣の首がころがる午後のテレビに

仏様四人の位牌を預かりて年越さむとす賃貸暮らし

家持たぬ決意を妻にたしかめてなほ揺らぎつつ年あらたまる
除雪なし除草もなからむつれづれの賃貸暮らし何時まで続く

不整脈の喉にしずしず呑み下す何よりも酔ふため眠らむがため

前向きの「前」はいづれぞ励ましの言葉疑ふことならねど

三千の中の一人の鎮魂に夜ごとを 哭(おら)ぶ我がみじか歌

不整脈高血圧を手なづけむ散歩は犬に引かれるままに
帰り路は落暉まぶしき川土手をツバ下げてゆく犬に引かれて

国語辞典求めて帰る道すがら虹の足見ぬ片足ながら

ファイバーに明日診らるる胃の壁を浄めて沁みる清酒「一ノ蔵」

異常なしを聞くために耐へし十分間ファイバー抜かれてゲップがもれぬ

頻脈の波形正しき妻の心 明日の午後の手術を祈る
病院のベッドに臥せる妻に打つメールに僅かのユーモアまぜて

カテーテルに頻脈の根を焼く手術 妻の還りを二人子と待つ

欲望の塊となり合掌す初日にさへも恥ずかしきまで

生きてゆくための物資の欲しきまま神に手合はす妻と並びて

全集などもう要らぬ身を嘆きつつ書店うろつく人かき分けて

あ と が き

あの23・3・11の津波で、宮城県女川町の家を流失しました。「我が家は高台にある」という先入観があったので、町内の拡声器が何を叫んでも関係がないと思っていました。玄関の戸をあけて叫んでくれる声に驚き、裏山へ駆け上りましたが、ひざ下を濡らしました。まさに津波に足を舐められたのでした。それほどとっぷりと先入観に眠っていたのです。あの日の夕方は雪が降ってとても寒かった記憶があります。流失を免れた従兄弟の家で集落の多くの人たちと一夜をあかしました。電気水道電話がない、真っ暗な一夜をやっとの思いで過ごしました。
翌日、一時間をかけて町の体育館に移動しました。何がしかの食料を期待したのでしたが、さにあらず。寒い一夜を寝ずにすごし、翌日は従兄弟の家に戻ってきました。灯油があり、冷蔵庫に食料があり、プロパンガスがあって、4・5日は食えるという従兄弟の良心にすがる思いで戻りました。飼い犬のタローが体育館の大衆のなかでは生きられないという思いもありました。
生涯で四冊の歌集を出すと仮定しての話ですが、「起承転結」のような形で並べられたらいいなと、第二歌集の「あとがき」に書きました。変り映えのしない第二歌集への羞恥といたわりの気持ちからでした。その後の短歌も精進不足から、さっぱりと上達しなかったので、新しい歌集を出版することはすっかりと諦めていました。そこへの地震津波だったのです。図らずも「転」の歌集の素材となるべき『事件』が起こったのでした。
従兄弟の家での約四十日間の避難生活。そこでのメモを素材として歌を作りました。地震と津波のシャッフル状態を「地津震波」という四文字熟語に作り、所属する「音」短歌会に送りました。結社のきまりに従い、毎月十首送稿しました。その中から6,7首が選ばれて活字となりました。今回、この歌集を編むにあたっては、選ばれなかった歌であっても、そこにあの日のかけがえのない自分があったことを考えれば、歌の完成度とは別の視点から、「短歌的現実」として、投稿作品のすべてを発表することにしました。また、投稿原稿用紙のままに再現することにしました。この度歌集にするにあたって、いく首かは推敲しましたが、ほとんど投稿時のままに再現してみました。
すべてを失った小生には、いわゆる歌集を出版するゆとりはありません。「仮設みなし住宅」の薄暗い部屋でパソコンとプリンターを使い、私家版歌集を編むしかありませんでした。私の記念として、私の家族(子孫)の記念として残ればいいかと思っての公開です。アドレスのわかる知人にはメールで送ろうと思っております。メールで受け取った知人が、さらに友人にメールで送っていただければこれにまさる幸せはありません。何人かの友人にはCD歌集にして送りました。「歌集」のすがたはどうであれ、被災した歌詠みの作品として誰かに届いてくれればうれしく思います。
被災者の実体験という視点でいえば、小生は優位な?立場に立っているのかも知れませんが、作品としての短歌は「実体験」という狭い視点からのみ論じられるものではありません。遠く視ている立場ゆえ開かれる表現方法という文学の可能性はどのような形ででも保障されているものと思います。
短歌総合誌上、たくさんの「震災詠」を拝読してきました。実体験した小生の目から見て、「見ていない」「作っている」という感想の出てくる作品にも遭遇しましたし、「体験していない」作者の作品にいたく感動したという場合もありました。
私も短歌を詠みはじめてから短くはありませんから、それなりの見解は持っていると思ってはおりますが、メモから「短歌」へ変換するとき、この場合「修辞」はあるのかという一点で悩みました。「修辞なし」という覚悟で作品化してきたつもりではありますが、長い時間の体験が期せずして「修辞」を遊んでいるかも知れません。しかし、修辞を考える余裕はなかったと思い返しております。
俳人の震災歌集を読んだり、詩人のツイッターによる詩を読んだり、さらにその歌集や詩集への反応を読んだりしてきましたが、体験してしまった私には、自分の表現を信じるしかありません。実体験にとらわれたが故の狭さもあるだろうし、実体験を信じるゆえの、表現としての広がりや深さへの伸縮がなくなってしまったという批評があるかも知れません。
私のこの一年間の震災に関する表現は「文学だったのか」という思いも去来します。短歌にとって、事実・実体験がいかに重いものなのかということへも今更のごとく心は揺れました。
「転」の第三歌集として「地津震波」を送り出します。ご寛読くださいますように。

私の被災をふかく悲しまれた武川忠一先生が、四月一日逝去されました。心からご冥福をお祈りいたします。またこの一年間、私の「被災詠」を読んでくださり、励ましてくださった「音」会員の皆様に心から御礼を申し上げます。

平成24年6月  日
〒982・0004 仙台市太白区東大野田一九―七―208
(旧住所  宮城県牡鹿郡女川町石浜字七曲30) (私家版 頒価  0円)
PCメールアドレス[oss7030@sea.sannet.ne.jp]
「著者小歴」
昭和12年、秋田県生まれ。75歳。昭和36年、東北大学教育学部卒業。
宮城県内の中学校・高校で国語を担当。後、宮城学院女子大学教員を定年まで勤む。

昭和47年、「音」短歌会発足に参加。
平成03年、「机上のめがね」30首で「音」短歌賞受賞。
平成06年、「壮年の尾根」20首で宮城県文芸賞(短歌)受賞。
第一歌集『縄文の雨』(H5年)、第二歌集『壮年の尾根』(H12年)。(いずれも「雁書館」より出版)

〇今般の歌集のCD版の作成では、歌友・石川のぶ子さんのお世話になりました。
suzuki masako @DAIMONJIMATAKO
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それいけ!まみおの日本橋で女川!石巻!ZEN 茶’fe

ZEN’茶feさんに来たら、イーガーfamily のおながわ布ぞうりが届いてた!
16日は、ZEN’茶fe@zenchafe)のマネージャーさんと、石巻の会社を巡り、女川の美味しいものを食べる!会社訪問っぽくて楽しみ!わざわざ現地に行っていただくのだから、いっぱいいいとこ見てもらわなきゃ!
まみお
まみお @mamio_tk

まみおの復興支援棚に、翔(かける)ジャパン @sanma_onagawa さんの「銀鮭そぼろ」「さんまそぼろ」が東京初登場!日本橋三越前のZEN茶fe(@zenchfe)さんにて各1個360円◎食べて応援!!いろいろな料理にピッタリで美味!


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日本橋:ZEN茶fe

〒103-0022 東京都中央区日本橋室町1丁目11−2望月ビル
☎03-3270-3672

女川町の竹ノ浦(たけのうら)の「たげな新聞・夏号」

女川町の竹ノ浦(たけのうら)の「たげな新聞・夏号」ついに発行!
今回も期待以上の記事、満載~。
復興は進んでいないと耳にしますが「たげなのすたずは頑張ってっと!
銀鮭も水揚げ開始。お祭りと絆、深い歴史が刻まれた「たげな新聞」をよろしくお願いします。
情報提供:suzuki masakosuzuki masako        オリジナル版.pdf
No.1
No.2


[編集後記]:養殖業(銀鮭・ホタテ等々)の再開を始め、年中行事の獅子舞やお祭りの復活など竹浦の皆さんの結束力には脱帽です。他の浜の皆さんにも力強い影響を与えていると思います。
竹浦に石碑があるはとは知りませんでした。