女川”おちゃっこクラブ”

女川”おちゃっこクラブ”は女川町立病院がある小高い丘にあります。ここは女川湾を一望でき、近くには「東日本大震災の慰霊碑」もあります。あの津波はここにある病院の一階まで押し寄せ、数人の犠牲者も出ました。被災地・女川を訪れる方々を元気いっぱい迎えるのは女川のナイスガイこと岡さんです。女川太鼓連「まむし」を率いるサーファーでもあり、「女川の星」です。



女川”おかせい”の海鮮丼

8月13日~14日、女川に行って来た。東北への旅行はJRを始め盛況のようです。大震災直後はとてもとても見て頂きたいと言う気にはなれなかったであろう女川の皆さんも、復旧も進みやっとそれぞれが仮設店舗とはいえ再開できるようになった。後は、まだまだ進んでいない被災地の復興状況を見て頂くと同時に、元気に再開している 女川の「笑顔と海の幸」に触れ合って頂いて更なる支援をして頂きたいと思った。
※おかせいの場所はここ

噂の「おかせいの海鮮丼」

浜の海鮮丼とあって、「生だし汁」も旨い!

”復興祈願”

お昼時はいつも行列ができるほどの盛況!

新鮮な女川の海の幸


女将さんの屈託のない笑顔と潤んだ目が印象的だった!

女川町指ヶ浜「八雲神社」

女川町指ヶ浜の八雲神社です。東日本大震災の大津波にも耐え抜いた神社です。小さな浜の小さな神社ですが、とても美しい入母屋造の神社だと思います。一部向かって右側の石垣が崩れ狛犬が壊れていますが、本殿は健在でした。この神社が位置するところは海抜30mほどで、大津波は入り口の鳥居を全てのみこんだそうです。幸い鳥居も健在でした。

女川・三十三観音巡り(一番碑~五番碑)

文政七年(一八二四年)、独国和尚が「五穀豊穣、天下泰平」を祈願して建立した三十三基の観音碑。病気、天災、海難など、それぞれの観音碑が難を救済するといわれ、地元の信仰を広く集めてきました。石碑は尾根づたいに並び、その約1.8Kmの遊歩道が新しく整備され、平成四年に完成。豊かな自然に囲まれ、展望の美しさも加わり、歴史散歩の道として親しまれています。
※入口付近の「波切不動尊」は津波よりもその後の大雨で荒れているようです。山道は極めて良好である。途中、熊野神社に向かう道があり、近くには展望台もあった。
※三十三観音巡りは5pで構成されています。全編を閲覧するにはここから
独国和尚についての詳細
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※左には「おながわBook」による観音名を記載しました。現地看板の表記による。
右側には「女川町教育委員会」による観音名を記載しました。

一番碑・楊柳観音(ようりゅうかんのん)                如意輪観音
二番碑・龍頭観音(りゅうずかんのん)                聖観音
三番碑・持経観音(じきょうかんのん)                           馬頭観音
四番碑・円光観音(えんこうかんのん)               千手観音
五番碑・遊戯観音(ゆげかんのん)                 不空羂索観音

※それぞれの観音の由来は写真中の看板に説明書されています。

女川・三十三番観音(六番碑~十三番碑)

文政七年(一八二四年)、独国和尚が「五穀豊穣、天下泰平」を祈願して建立した三十三基の観音碑。病気、天災、海難など、それぞれの観音碑が難を救済するといわれ、地元の信仰を広く集めてきました。石碑は尾根づたいに並び、その約1.8Kmの遊歩道が新しく整備され、平成四年に完成。豊かな自然に囲まれ、展望の美しさも加わり、歴史散歩の道として親しまれています。
※入口付近の「波切不動尊」は津波よりもその後の大雨で荒れているようです。山道は極めて良好である。途中、熊野神社に向かう道があり、近くには展望台もあった。
※三十三観音巡りは5ページで構成されています。全編を閲覧するにはここから
独国和尚についての詳細
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※左には「おながわBook」による観音名を記載しました。現地看板の表記による。
右側には「女川町教育委員会」による観音名を記載しました。
六番碑・ 白衣観音(びゃくえかんのん)                     十一面観音
七番碑・蓮臥観音(れんがかんのん)                       如意輪観音
八番碑・滝見観音(たきみかんのん)                               聖観音
九番碑・施薬観音(せやくかんのん)                        十一面観音
十番碑・魚藍観音(ぎょらんかんのん)                    千手観音
十一番碑・徳王観音(とくおうかんのん)                   十一面観音
十二番碑・ 水月観音(すいげつかんのん)                  不空羂索観音
十三番碑・一葉観音(いちようかんのん)                    如意輪観音

※十二番碑・ 水月観音(不空羂索観音)は東日本大震災以降行方不明

女川・三十三観音巡り(十四番碑~二十一番碑)

文政七年(一八二四年文政七年(一八二四年)、独国和尚が「五穀豊穣、天下泰平」を祈願して建立した三十三基の観音碑。病気、天災、海難など、それぞれの観音碑が難を救済するといわれ、地元の信仰を広く集めてきました。石碑は尾根づたいに並び、その約1.8Kmの遊歩道が新しく整備され、平成四年に完成。豊かな自然に囲まれ、展望の美しさも加わり、歴史散歩の道として親しまれています。
※三十三観音巡りは5ページで構成されています。全編を閲覧するにはここから
独国和尚についての詳細
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※左には「おながわBook」による観音名を記載しました。現地看板の表記による。
右側には「女川町教育委員会」による観音名を記載しました。
十四番碑・青頸観音(しょうきょうかんのん)              如意輪観音
十五番碑・ 威徳観音(いとくかんのん)            聖観音
十六番碑・延命観音(えんめいかんのん)          不空羂索観音
十七番碑・衆宝観音(しゅうほうかんのん)          聖観音
十八番碑・岩戸観音(いわどかんのん)            如意輪観音
十九番碑・能静観音(のうじょうかんのん)                不空羂索観音
二十番碑・阿耨観音(あのくかんのん)          不空羂索観音
二十一番碑・阿縻提観音(あまだいかんのん)       十一面観音

今回の女川三十三観音巡りの目的は、ご先祖様の名前が刻まれている観音碑を探すことでした。現場では分からなかったのですが、自宅に帰って編集していると、二十一番碑(十一面観音)、左下に(指ヶ濱 兵吉)としっかり刻まれていました。
寄進者:指ヶ濱(兵吉)、竹浦(源十郎・源作)、真野村(助五郎)、女川村(喜三郎)
※上記の寄進者は二十一番碑の寄進者であり、他の観音碑には それぞれに寄進者が記録として残っている。※六番碑の寄進者は不明

女川・三十三観音巡り(二十二番碑~二十九番碑)

文政七年(一八二四年文政七年(一八二四年)、独国和尚が「五穀豊穣、天下泰平」を祈願して建立した三十三基の観音碑。病気、天災、海難など、それぞれの観音碑が難を救済するといわれ、地元の信仰を広く集めてきました。石碑は尾根づたいに並び、その約1.8Kmの遊歩道が新しく整備され、平成四年に完成。豊かな自然に囲まれ、展望の美しさも加わり、歴史散歩の道として親しまれています。
※三十三観音巡りは5ページで構成されています。全編を閲覧するにはここから
独国和尚についての詳細
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※左には「おながわBook」による観音名を記載しました。現地看板の表記による。
右側には「女川町教育委員会」による観音名を記載しました。
二十二番碑・葉衣観音(ようえかんのん)         聖観音
二十三番碑・瑠璃観音(るりかんのん)           千手観音
二十四番碑・多羅尊観音(たらそんかんのん)       不空羂索観音
二十五番碑・蛤蜊観音(こうりかんのん)          千手観音
二十六番碑・六時観音(ろくじかんのん)         千手観音
二十七番碑・普悲観音(ふひかんのん)           如意輪観音
二十八番碑・馬郎婦観音(ばろうふかんのん)        聖観音
二十九番碑・合掌観音(がっしょうかんのん)        不明

女川・三十三観音巡り(三十番碑~三十三番碑)

文政七年(一八二四年文政七年(一八二四年)、独国和尚が「五穀豊穣、天下泰平」を祈願して建立した三十三基の観音碑。病気、天災、海難など、それぞれの観音碑が難を救済するといわれ、地元の信仰を広く集めてきました。石碑は尾根づたいに並び、その約1.8Kmの遊歩道が新しく整備され、平成四年に完成。豊かな自然に囲まれ、展望の美しさも加わり、歴史散歩の道として親しまれています。
※三十三観音巡りは5ページで構成されています。全編を閲覧するにはここから
独国和尚についての詳細
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※左には「おながわBook」による観音名を記載しました。現地看板の表記による。
右側には「女川町教育委員会」による観音名を記載しました。
三十番碑・一如観音(いちにょかんのん)          千手観音
三十一番碑・不仁観音(ふにかんのん)          聖観音
三十二番碑・持蓮観音(じれんかんのん)          不空羂索観音
三十三番碑・灑水観音(しゃすいかんのん)          聖観音
夫婦杉
※震災後傾いたり埋没していた観音碑及び看板は2・5・9・10・12・14・16番碑のようです。その内、12番碑だけが不明ということです。~女川町教育委員会資料より~

今回の三十三観音巡りは2012年8月14日、独国和尚の末裔と言われている同級生の案内で回ってきた。天候が少し不安定で湿度も高く大汗をかいての観音巡りであった。
近くには白山神社があったとされる場所に案内され、当時の津波の状況の説明を受けた。神社は取り壊され、新しく建設する為、現在資金援助を全国に募っている
三十三観音の逸話 :最後の三十三番碑は以前は、二十五番碑~三十二番碑が建立されているところにあった。しかし、転げ落ちては戻し、何度戻しても転げ落ちるので
独国和尚の墓碑がある補陀閣(独国和尚の庵寺)の中に並んで置かれるようになった。
庵内には第三十三番観音碑、独国和尚墓碑、本尊観音像碑の3つの石碑があります。
※ 補陀閣は山道入り口より手前の少し離れた所にあり、東日本大震災の大津波で浸水し、大分荒れていたが墓碑や観音碑はしっかりと残っていた。同行した友人の生家もすぐ近くにあり、独国和尚直筆の「龍」と言う掛け軸共々津波で流された。

「独国和尚」年表

宝暦十二年(1762年)                       女川浜鍛冶屋(木村家)に生まれる
/                                  享和二年(1802年)
/                                塩沢無涯(利作)と出会う
/
/                                文化四年三月(1807年)
/                                  差塩  妙典-字石-行三霊塔建立

文政七年(1824年)          三十三観音建立(女川山地内)

文政八年(1825年)          金比羅大権現碑建立

文政十三年(1830年)         福島県川寒の塩沢家で入寂
(天保元年)                       天保十八年八月発行の信達一統志(志田正徳著)
/                                                            「独国和尚という和尚があった、この僧は米沢分殊
/                                                         薩摩に祈祷を込め仏教の真密を覚った近代の名僧
/                                                                 である。」と記されている。

~女川町教育委員会・生涯学習課資料より~

女川”ニューこのリ”の名物アナゴ天丼

女川「ニューこのリ」の名物アナゴ天丼とお刺身定食(七海)です。
揚げたてなので少し時間がかかりますが、 ほくほくで肉厚のアナゴ天が絶妙です。お刺身定食(七海)も見るからに美味しそうで最高です。クジラの刺身が懐かしかった。他には「殻付きのウニ」等など美味しい物ばかりです。知人に伺ったのですが、ラーメンもとても美味しいらしい。

 


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