それいけ!まみおの大試食会~さんまのヤマホン編


女川 さんまのヤマホンさんからお取り寄せして、「まみおの会東京事務局」のみんなと大試食会♪
★今回お取り寄せしたもの★
☆宮城県女川産 ハーブ育ち・スーパサーモン! 銀鮭フィレ
☆さんまの黒酢煮
☆さんまの蒲焼
☆銀鮭塩麹漬け
お天気も良かったので、お昼休みに外のテラスで食べました。「冷凍とは思えない!」「ふわふらしてる!」「おいしーい」とそれぞれにお気に入りを見つけました。


切り身で届いた銀酒は、前日からしょうゆ麹で仕込んで、当日朝、仕上げてから電車に飛び乗りました!「ハーブで育った」に、女子っぽく盛り上がったり…。楽しくておいしいランチでした★ヤマホンさん、これからもおいしいものを期待しています!

南三陸さんさん商店街

まりまど@marimandona262


昨日行った、さんさん商店街。中央にイートコーナーがあって各々好きな食堂やお店で買った物を座って食べられるのは良いアイデアたなぁ。キラキラ丼の食べ比べができる。鯨やタコの竜田上げや焼きそばを売る屋台があるのも観光客には良いなぁ


南三陸の海岸を車で通り過ぎた時に車椅子にのったお婆さんが誰かに手伝われながら岸壁から海を眺めていた。仮設にいるのか、内陸に引っ越したのか。でも志津川の海が見たかったんだなぁ。私も無性に岸壁から女川の海を眺めたくなる時がある。防災目的とは言え壁のごとき防波堤なんて私は嫌だなぁ。

南三陸キラキラ丼 ※ウニはオプション

南三陸さんさん商店街の絆ロール、わかめ味!!どんな味か警戒してたけど本当に美味!!わかめの塩味とコリコリ感が生クリームと絶妙に合う。これはお薦め。

美し女川の海!コバルトブルー

今日の女川の海です!コバルトブルーで美しい。
情報提供:まりまど★marimado 


今日は笠貝島まできれいに見えます。

ウミネコさん。

高村光太郎碑、今日は満潮時間前に行ってみたら海水に浸かっていない。少しずつ海水が流れこんで来ていたから午後3時頃には海水に浸かりそう。

階段一気に駈け上ったら汗ダクダク。でも日陰は潮風が吹いて気持ち良い~。

それいけ!まみおのよかすか開国祭で女川!

【それいけ!まみおのよかすか開国祭で女川!】今日のお店~\(^o^)/こどもたちがよさこいを踊ったりして楽し~い♪
まみおまみお ‏@mamio_tk


「リアスの詩」を知っているお客さま、ツイッターで知り合った方が買いに来てくださいました♪ありがとうございます。

それいけ!まみおの横須賀で女川応援!


よこすか開国祭
で、買って応援◎!
■宮城県女川:イーガーfamilyの手作り小物、マルキチ阿部商店さんの「リアスの詩(さんまのこぶ巻き)」
■岩手県大槌町:シュシュなどの髪飾り

1. 日 時:7月29日(日)14:00~19:00
2. 会 場:横須賀市役所前公園
※開国祭は~8月3日まで毎日開催されますが、「まみおの会」「まごころ*花」の出店は29日のみです。
リアスの詩の写真を見ていたら、食べたくなってきました…。

より大きな地図で 2012年よこすか開国祭 [夏祭り2012] を表示

魂は、 流されない! -女川町竹ノ浦-

7月15日、日本経済新聞に女川町竹ノ浦の獅子振りが掲載されました。震災から紆余曲折、ここまで浜の力でやって来れました。是非、ご一読下さい。
情報提供:suzuki masakosuzuki masako      オリジナル版.pdf
07.15_M_SOC
 【女川・獅子舞(獅子振り)】  ~文中より~
女川町では浜ごとに、神社と獅子頭があり、正月や祝い事などの折に、獅子振りが行われる。獅子頭の格好、振り方、太鼓や笛のリズムは、各浜によって微妙に異なり、どこも自分たちが最高と考えている。以前は男性のみが携わるものだったが、竹浦で女性に門戸を開いたのをきっかけに、女性や子どもの参加は他の地区にも広がっている。

編集後記:震災後、女川・竹浦地区においては伝統芸能でる「獅子舞」の保存をはじめ地域住民が精力的に活動されています。また、「たげな新聞」などの発行により地域の被害状況や活動を報告することにより地域の活性に一翼を担っている。

 

荻窪でイーガーfamily

荻窪にある「かふぇ&ほーる with遊」さん。

広いテラスにコンサートホールも併設された素敵なカフェです。
冬にはママさんの地元から取り寄せたおいしいきりたんぽも、ランチメニューに登場します。ここで、「イーガーfamily」の商品が買えます。
「自分になにかできることを・・・」と置いてくださいました。
先日お伺いしたら、とってもかわいいコーナーになっていました!
お店の中全体が、ママさんのお人柄のとおり、素敵に飾りつけがなされています。
大きな窓から自然の光が注ぎ込む店内で、おいしいコーヒーを飲んで、ゆったりとした時間を過ごしました。みなさまもぜひ、お立ち寄りくださいね。

 

アクセス
かふぇ&ほーる with遊  杉並区荻窪3-46-13 (TEL.03-6661-2336)

JR荻窪駅南口を出て左にまっすぐ行くと 青梅街道にぶつかります。
そのまま直進し、「すき家」 の先、歩道橋の手前が 『with遊』 です。(駅から徒歩8分)
阿佐ヶ谷駅よりバスをご利用の場合は、荻窪方面バス停 「天沼」 停留所前です。

震災歌集「地津震波」 佐藤成晃 作



走れよと妻の背中を突き出してつんのめつた手で津波を掴む

片足を脹脛まで濡らしつつ津波免れき生きねばならぬ

4GBのメモリーも家ごと流されぬ私の記憶根こそぎ連れて

集落に残りし家は四、五軒か子らのふるさと捨てねばならぬ

生き死にを訊ねて歩く町角に相抱くありともしきまでに
子や親に無事を伝ふる手だてなし伝言頼む人探し歩く

常備薬持たで逃げきて避難所の冷たき床に眠るもならず

五秒差に生かされて雑居の中に覚むどの神仏か我を救ひし

生存を伝ふる手立て無き我は死なされてゐむ死んでたまるか

津波ののち三日見えざりしウミネコの声が聞こゆるいづことも無く
寒き寒きひもじき夜の避難場所見知らぬ人と背中合はせに

避難所の毛布の中にたまさかに触れしは妻の足か犬を隔てて

溺死体を話題に飯を食らふまでに感情なべてほとびしならむ

津波引きし集落に家五軒無し遺体探しに半日歩く

家跡の瓦礫の中に逆さまの三本足のピアノの裸体
べた凪の湾に浮かべるガラクタの我かも知れず津波後七日

過失なくて家流されしむなしさよ七日着のまま便すら出でず

生き残りし者の務めの人探し瓦礫の下に今日は十七体

三・四本指立てて縁者の亡きを言ふ瓦礫の道に雪に降られつつ

歌詠むにうつつ抜かすと言はれても詠むべし三十一字の現実
幾百の家飲みし湾の凪ぎわたり陽を返しをり眩しくてならず

残骸のきり無き町を歩きあるき縁者三人探しあぐねき

十日経て諦めきれねど行方不明者捜索願ひに義姉の名を記す

遺体安置の倉庫をはすに見しのみに帰りきぬいつか行かねばならぬ

たまさかに高笑ひすれど眠剤に夜夜を縋れる妻の小さし
紅梅の下に立つとも美女ならず家攫はれて十日半白の妻

うがひする水さへ節約せねばならず十日を経つつ余震に眠れず

易々と海が持ちさりし我が家を幾たび思へど酔ふ酒もなし

亡き者の残しし野菜も食らふなり生きねばならぬ故のひもじさ

肉親の安否尋ぬるラジオの声戦後「尋ね人の時間」のやうに
比重「1」の水の力が攫ひゆく車や家やたちまちに無し

相抱き無事を喜ぶ声やよし千人も不明の町の避難所に

連れて逃げし犬一匹に遊ばれて避難所暮らしの午後のなごまし

家跡に流れつきたる遺体二つ三日晒され運ばれゆきぬ

避難所の医務室にもらふ降圧剤三日分なれど今日のたまもの
家跡にもう立つまじと言ふ妻の前向きといふことにもあらず

着のままの十日を経つつ六人の老いらが語る生の濃淡

救援食にまぎれて届く新聞も忙しやリビア・原発・株価

血縁の九体いまだ浮かび来ず津波後十日の湾凪ぎたれど

過去持たぬ一人の我を証明する紙一枚をおし頂きぬ
渡りきて燕はいかに迷ふらむ巣籠る家のひとつだに無し

頻脈に苦しむ妻を遠くより見さだめてをり余震のたびに 

摩耗せし信女の石も踏みつけて水汲みに行く避難暮らしの

賞味期限あるなしいづれ支援物資をいただきて帰る老い六人の

膝下を津波にしゃぶられ寒かりき夢と見てゐし家流るるを
睡眠剤飲んで四時間眠らせた体にしみる今朝の味噌汁

甘つたるいお菓子のやうな避難食呑み下さむに渋き茶もなし

梅干や沢庵が欲し甘味無き戦後のひもじさ知れる体は

「がんばるな」と子らの電話のいくたびか頑張るしかない避難所暮らし

カードなし通帳印鑑免許証なし電話通ぜず寝る所なし
浮かび来る遺体を捜す船いくつ鏡なす湾を左へ右へ

着のままの身を伏せたれど眠り来ず三週湯浴みを知らぬからだに

弥生末のもどりの寒さ耐へがたし千の死体のある町の朝

満天の星仰ぎつつ放尿すからだも心も原始のむくろ

愛でなし義務ですらなし義姉の遺体探すと歩く二十日経てまた
不明者の遺体安置所訪ね歩く日に一つづつ三日続けて

我を待つ遺体は三つ二十日過ぎてまたバスに乗る遺体探しの

波に揉まれ引きかけ傷の跡あまたどれも義姉の遺体たらはず

遺体写真二百枚見て水を飲む喉音たてずにただゆつくりと

「遺体などもう探すな」と言ふやうな夢を見せてよせめて妻には
顔の体(てい)なさざる遺体の二百枚めくりめくりて戻り来しのみ

人間の判別できぬ遺体写真三日めくりて義姉をあきらむ

安置所をめぐり空しく帰りきては酒もて満たすほかなき体

人目避けて木陰にすするワンカップのしみじみと沁みる震災二十日目

住む家を持てざる我が花粉症の鼻水すする七十四歳
家がある前提の思惟をまた訂す家攫はれて二十日過ぎしが

一冊も持たぬ素寒貧のほちやれ者家攫はれしは二十日前なり

罹災証明受けむと並ぶ二時間半七十二番札今日午前の部

罹災証明五枚をいただき帰る道家なき者を吹く海の風

貰ふことに慣れぬ体をもてあます食ふ列に並ぶ一たびもせず
排便のできぬ体になりはてて食後食後に飲む下剤二種

「ライフライン」などと間接にもの言ふな飲む水がない寒くてならず

差し込まむ穴無き鍵の捨てられず流されし家の玄関のカギ

避難所を逃れて憩ふ子の家の電気の明りに目が開けられぬ

避難所の四十日を 限に逃れきて娘の家に熱を病む妻
花持たで彼岸の過ぎし墓に来ぬ家攫はれしを告げねばならず

催眠薬を酒に溶かして呑む幾夜家流されしを夢となすべく

生きてゐる妻を悼める文も来ぬ地震津波のどさくさの中

アドレナリン使ひ果たしし身のだるさ歩くにいまだ平衡かしぐ

身と心向き向きの体の不可思議を限界として呑む熱さまし
傍らに今宵も眠る一匹を抱いて逃げしを幸ひとせむ

〈被災者〉の心放たむこころみの妻とのドライブ今日六時間

被災者を励ます映像いくそたび倦みしよ憐れまれゐる今の己れに

子を頼らぬ生き方さがす宵々の妻の言葉の今宵温とし

不整脈病む身となりて気だるきに車をとばす家なき郷に
被災せし蔵よりの酒「男山」大吟醸の生きよと沁みる

遺体なき共同葬儀の末席に義姉を送りぬ百日過ぎぬ

ちち母の生命保険奪ひ合ふ噂三つ四つ百日過ぎて

避難所の数限りなくそして又たつた一つの願ひは眠り

遠く呼ぶ電話の奥の涙声わが生きてゐることをよろこぶ
攫はれし通帳証書免許証再発行されぬ 命無きものは

思ひ出の品一つなき賃貸の部屋に戯れあふラッセルテリアと

落人の夫婦のごとく人目避けて暖簾をくぐる朝飯食ふと

わが 終(つひ)の住み家か知れぬ賃貸の3Kに覚む梅雨の朝朝

家跡に立てば顕ちくる幻の亡父の桜の散りやまぬかな
いかほどのセシューム吸ひしや息らを訪ふ五時間福島妻とのドライブ

温泉に一夜浸かりし身の軽さ震災五カ月終戦記念日

次々に遺体浮かべば続けざまに葬儀に並ぶ週に四日も

朝夕を犬に引かるる四十分名取川左岸をエリアとなして

約束を持たで生きたき我がままを譲らず津波の被災の後は
遺体なき葬儀の知らせ四度五度一家に五人亡き今日の葬

憐れまれゐるらむ我と妥協して出て来ぬいやしく酒を飲むため

聖人でも君子でもなし励ましの言葉よりもつと欲しきものあり

読み終へねばならぬ物など無き日々の気だるき午後のための通り雨

グーグルにさらされてゐる家跡にコスモス二合の種撒き帰る
催眠剤効かぬからだに呷るごと二合をそそぐ妻寝ねし後

ボランティアのうどんを食ひし証とぞ手の甲に残る赤き油性マジックペン

自らの言の刃(やいば)に大臣の首がころがる午後のテレビに

仏様四人の位牌を預かりて年越さむとす賃貸暮らし

家持たぬ決意を妻にたしかめてなほ揺らぎつつ年あらたまる
除雪なし除草もなからむつれづれの賃貸暮らし何時まで続く

不整脈の喉にしずしず呑み下す何よりも酔ふため眠らむがため

前向きの「前」はいづれぞ励ましの言葉疑ふことならねど

三千の中の一人の鎮魂に夜ごとを 哭(おら)ぶ我がみじか歌

不整脈高血圧を手なづけむ散歩は犬に引かれるままに
帰り路は落暉まぶしき川土手をツバ下げてゆく犬に引かれて

国語辞典求めて帰る道すがら虹の足見ぬ片足ながら

ファイバーに明日診らるる胃の壁を浄めて沁みる清酒「一ノ蔵」

異常なしを聞くために耐へし十分間ファイバー抜かれてゲップがもれぬ

頻脈の波形正しき妻の心 明日の午後の手術を祈る
病院のベッドに臥せる妻に打つメールに僅かのユーモアまぜて

カテーテルに頻脈の根を焼く手術 妻の還りを二人子と待つ

欲望の塊となり合掌す初日にさへも恥ずかしきまで

生きてゆくための物資の欲しきまま神に手合はす妻と並びて

全集などもう要らぬ身を嘆きつつ書店うろつく人かき分けて

あ と が き

あの23・3・11の津波で、宮城県女川町の家を流失しました。「我が家は高台にある」という先入観があったので、町内の拡声器が何を叫んでも関係がないと思っていました。玄関の戸をあけて叫んでくれる声に驚き、裏山へ駆け上りましたが、ひざ下を濡らしました。まさに津波に足を舐められたのでした。それほどとっぷりと先入観に眠っていたのです。あの日の夕方は雪が降ってとても寒かった記憶があります。流失を免れた従兄弟の家で集落の多くの人たちと一夜をあかしました。電気水道電話がない、真っ暗な一夜をやっとの思いで過ごしました。
翌日、一時間をかけて町の体育館に移動しました。何がしかの食料を期待したのでしたが、さにあらず。寒い一夜を寝ずにすごし、翌日は従兄弟の家に戻ってきました。灯油があり、冷蔵庫に食料があり、プロパンガスがあって、4・5日は食えるという従兄弟の良心にすがる思いで戻りました。飼い犬のタローが体育館の大衆のなかでは生きられないという思いもありました。
生涯で四冊の歌集を出すと仮定しての話ですが、「起承転結」のような形で並べられたらいいなと、第二歌集の「あとがき」に書きました。変り映えのしない第二歌集への羞恥といたわりの気持ちからでした。その後の短歌も精進不足から、さっぱりと上達しなかったので、新しい歌集を出版することはすっかりと諦めていました。そこへの地震津波だったのです。図らずも「転」の歌集の素材となるべき『事件』が起こったのでした。
従兄弟の家での約四十日間の避難生活。そこでのメモを素材として歌を作りました。地震と津波のシャッフル状態を「地津震波」という四文字熟語に作り、所属する「音」短歌会に送りました。結社のきまりに従い、毎月十首送稿しました。その中から6,7首が選ばれて活字となりました。今回、この歌集を編むにあたっては、選ばれなかった歌であっても、そこにあの日のかけがえのない自分があったことを考えれば、歌の完成度とは別の視点から、「短歌的現実」として、投稿作品のすべてを発表することにしました。また、投稿原稿用紙のままに再現することにしました。この度歌集にするにあたって、いく首かは推敲しましたが、ほとんど投稿時のままに再現してみました。
すべてを失った小生には、いわゆる歌集を出版するゆとりはありません。「仮設みなし住宅」の薄暗い部屋でパソコンとプリンターを使い、私家版歌集を編むしかありませんでした。私の記念として、私の家族(子孫)の記念として残ればいいかと思っての公開です。アドレスのわかる知人にはメールで送ろうと思っております。メールで受け取った知人が、さらに友人にメールで送っていただければこれにまさる幸せはありません。何人かの友人にはCD歌集にして送りました。「歌集」のすがたはどうであれ、被災した歌詠みの作品として誰かに届いてくれればうれしく思います。
被災者の実体験という視点でいえば、小生は優位な?立場に立っているのかも知れませんが、作品としての短歌は「実体験」という狭い視点からのみ論じられるものではありません。遠く視ている立場ゆえ開かれる表現方法という文学の可能性はどのような形ででも保障されているものと思います。
短歌総合誌上、たくさんの「震災詠」を拝読してきました。実体験した小生の目から見て、「見ていない」「作っている」という感想の出てくる作品にも遭遇しましたし、「体験していない」作者の作品にいたく感動したという場合もありました。
私も短歌を詠みはじめてから短くはありませんから、それなりの見解は持っていると思ってはおりますが、メモから「短歌」へ変換するとき、この場合「修辞」はあるのかという一点で悩みました。「修辞なし」という覚悟で作品化してきたつもりではありますが、長い時間の体験が期せずして「修辞」を遊んでいるかも知れません。しかし、修辞を考える余裕はなかったと思い返しております。
俳人の震災歌集を読んだり、詩人のツイッターによる詩を読んだり、さらにその歌集や詩集への反応を読んだりしてきましたが、体験してしまった私には、自分の表現を信じるしかありません。実体験にとらわれたが故の狭さもあるだろうし、実体験を信じるゆえの、表現としての広がりや深さへの伸縮がなくなってしまったという批評があるかも知れません。
私のこの一年間の震災に関する表現は「文学だったのか」という思いも去来します。短歌にとって、事実・実体験がいかに重いものなのかということへも今更のごとく心は揺れました。
「転」の第三歌集として「地津震波」を送り出します。ご寛読くださいますように。

私の被災をふかく悲しまれた武川忠一先生が、四月一日逝去されました。心からご冥福をお祈りいたします。またこの一年間、私の「被災詠」を読んでくださり、励ましてくださった「音」会員の皆様に心から御礼を申し上げます。

平成24年6月  日
〒982・0004 仙台市太白区東大野田一九―七―208
(旧住所  宮城県牡鹿郡女川町石浜字七曲30) (私家版 頒価  0円)
PCメールアドレス[oss7030@sea.sannet.ne.jp]
「著者小歴」
昭和12年、秋田県生まれ。75歳。昭和36年、東北大学教育学部卒業。
宮城県内の中学校・高校で国語を担当。後、宮城学院女子大学教員を定年まで勤む。

昭和47年、「音」短歌会発足に参加。
平成03年、「机上のめがね」30首で「音」短歌賞受賞。
平成06年、「壮年の尾根」20首で宮城県文芸賞(短歌)受賞。
第一歌集『縄文の雨』(H5年)、第二歌集『壮年の尾根』(H12年)。(いずれも「雁書館」より出版)

〇今般の歌集のCD版の作成では、歌友・石川のぶ子さんのお世話になりました。
suzuki masako @DAIMONJIMATAKO
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それいけ!まみおの会社訪問記~女川・石巻の旅

6月16日17日と、女川・石巻の会社をZEN’茶feのマネージャーさんと回ってきました。 オトナの社会科見学みたいで楽しかったです^^
写真・記事:まみおまみお @mamio_tk


16日———–>
山形屋商店さんで朝ごはん! (※山形屋商店さんでは朝ご飯の現在提供はありませんw。これはおかーさんの手作り!)
・石巻魚町のあたり。うん、建築中の建物が目につく!人の出入りもあり、活気が出てきている
丸平かつおぶしさんは津波で流された一階にも新たな機械が入り、さばのみりん干し・塩干しを製造中☆
・石巻河北!舟形アグリ食品販売さんの麦畑!きれい!刈り取り時期だそうです
道の駅上品の郷 石巻産の小麦を使った石巻焼きそばは舟形アグリだけ!
・えくれーるさん♪キラキラきれい
・渡波のピンクの建物の内側、翔ジャパンさん!みなさんが手早く作業しています
・ミニ穴子天丼とミニうに丼がセットのその名も『欲張りこのり丼』2,415円也♪… ・これに穴子天丼がつきます。ウニが動いてる~
・ミニ 穴子天丼
・女川 お花を置いて手を合わせます
・かぐら @女川、コンテナ村商店街 (これを見たら、言葉はいるまい!)

17日———–>
・朝は日和山に。ここで毎回会うおんつぁんがいる。今朝は朝食を作ってもらった。今日は誕生日とのこと!パチパチ☆
・雨止んだ!今日も気持ちいいぞ~!万石浦。
・お母さんたちは忙しそう!シール貼り手伝った!@マリンパル女川
・持ってきたお土産以上に味見させてもらいまくり、コーヒーまでいただいて、お腹いっぱい(*^^*)ごちそうさまでした!
・こっち(針浜)から見た万石浦。こっちからも穏やかできれい!
・ヤマホンさんに来(てみ)ました。大きいなー!どこに向かえばいいんだろう!
・おながわ散歩。コバルトラインと通り大六天に。夏浜が見えます。鳴り砂だって。次は踏み鳴らしに行きたい♪
・岡清さんでお魚も買いました。すでにほうぼうでいろいろなものを食べさせていただいて、お腹いっぱいで、海鮮丼食べる隙間なかった…
・野球場仮設や清水仮設で女川の阿部さん2~3人と話をして(笑)、きぼうのかね商店街のイーガーfamilyに1分滞在!
高橋徳治商店さんとビール飲んで(≧△≦)ゞ
・石巻から電車に乗りました!帰ります!ありがとう、女川・石巻。また来るね!なにかできること考えてまた来るね
※ちなみに、この後、電車を間違えてしまったorz…….