うみねこタイムズ009号

-女川町厨房創設記念号-
☆ボランティアセンターだより
☆おながわさいがいエフエム番組表(新)
☆ 営業再開
☆9月の潮見表
☆佐々木写真館 父と娘の写真展
☆町民の健康は町民の手で -女川町厨房プロジェクト-
※印刷用オリジナル版はここから

女川の子どもの像をとりまく復興の厳しさ

【女川の子どもの像のななめ下に時計が・・・】どてにがれきがあって、流されてきた時計がガラスが割れて横たわっています。ツイッターで聞いてはいましたが、止まったその時間がまさに・・・本当なんですね。
【女川の子どもの像をとりまく復興の厳しさ】そこにきっと豊かな町があったのですね。
今は何もないけど、必ず復興するこの町をこどもの像が見守っています。
【女川の被害のひどい地でみつけた子どもの像】車をとめて見入ってしまいました。
男の子が空に向かって指をさす様が復興の姿にかぶったためです。写真はこれ・・・
【女川の海岸にて】海水面から岸壁の上までは結構な高さが存在するのでしょうが、いっしょの高さになっていました。サンダルで水の上を歩いている感じ・・。
かもめが飛んできました。



 記事・写真:@tadagonpapa

東京新丸ビルに女川第一中学校生の絵

東京新丸ビル地下に女川第一学校生徒の短冊と一緒に掲載された絵です。
女川一中生徒の短冊は壮絶な体験をした子供たちの短冊として、涙せずにその場には居られないほどの作品でした。
「天国と、地獄の境目は何処ですか」

鈴木里衣菜さんの描いた「女川の大切な海」

大津波後の浸水(浦宿)

ヤマト運輸のドライバーさんから「潮が上がって出荷の車が出せない」と連絡。弊社前の道路、せっかくかさ上げしてもこんな感じです。帰れない社員もいます…いやはや…(汗
大地震後では、岩手から福島沿岸が約80cm沈下した。だから、大潮などではこのように低い陸地は浸水する。
記事・写真:蒲鉾本舗高政takamasa_net

女川盆まつり!

盆踊り@女川盆まつり。たくさんの方が参加しています。記事・写真:takamasa_net
4時46分、女川町の犠牲者と同数の風船、メッセージを付けて飛ばされます。
盆まつり面白かった!相方のお母さんが楽しめたみたいで良かった♪村田さんも天谷さんもうめまるさんも、暑すぎる中お疲れ様でした! 記事・写真:tekeosky
願いを込めた短冊を乗せて風船を飛ばします。記事・写真:abeyou



本日の女川なう!

震災から五度目の帰省である。本日の女川湾です。(8月14日)
震災直後、女川の惨状を見たときあまりの変わり果てように涙も出なかった。
改めて女川のこの光景を見ると涙せずにいられない。合掌!

妻と二人それぞれの海に花を捧げてきた。陸地は津波にことごとく荒らされた。
しかし、海を見るとあまりにも美しく、何事も無かったかのように美しい。
だから海を恨む気にはなれない。
何故なら、海はまきっとまた女川に恵を齎せてくれると信じているから。

 

LIFE~父の眼差し、娘の視線~


写真展「LIFE ~父の眼差し、娘の視線~」東京
2011年8月5日(金)~2011年8月18日(木)
10:00 ~19:00最終日16:00まで
FUJIFILM SQUARE 1F ミニギャラリー(六本木ミッドタウン内)
入場無料です
[slideshow id=2]
-写真展に行って感じた事- dan23  2011.8.6
佐々木厚さんの写真は、自然体で、気取りが無く、生活感が漂い、その場の臨場感をも描写している写真のように思った。マイスターの名に相応しいに見事な作品である。
麻弓さんの写真も復興に立ち向かう人々の力強さや「生命」、「躍動感」を感じさせる
父親譲りの素晴らしい写真だった。
そして、父と娘が微笑むスナップがとても々印象的で忘れられない。
~Forever ”Atushi.SASAKI”~

 

 

~一年ぶりの女川帰省~

無事、宮城から戻ってきました。
一年振りの帰省がこんなことになるなんて思ってもいませんでした​が、
現実を見ることが出来て何よりもよかったです。

子どもも小さくて帰りたくても帰れない状況で、
震災から四ヶ月以上ぶり。やっと女川に帰れました。

帰れたといっても、滞在時間は4時間。
皆さんと同じ、家があるわけでもなく本当の意味では「帰った~!」とは、
とても言えない状況でした。
でも海や山はそのままで、やっぱり私の家はここだなって思いました。
海も静かでいつもどおりで、どうしてここがこんなことになったのかは、
行って見ても答えの見つかるものではありません。
それはきっと皆さんも感じることでしょうね。

四ヶ月間女川在住の方々から、画像や映像を沢山送っていただき、
ありがたかったです。
皆さん、被災して大変なのにツイッタを通しての情報提供を下さって
ありがとうございました。

すべてを承知しての帰郷でした。
駆け足で、あの小さな街を見て回りました。
女川の平地は本当に何もありませんでした。
画像で見た建物も、いくつか更地になっていました。

町立病院駐車場から朝日に輝く女川湾を父と主人と子どもと見ながら、
でもやっぱりここに帰って来たいなって思いました。

清水、伊勢地区も既に更地で、瓦礫が仕分けされ、木材、コンクリ、鉄筋、家電がそれぞれ山になっていてあの中に家の物があるかもしれないと思うと目で探してしまいます。ひっかかっている布切れも、うちのものかなと目で追っています。

その辺りは小学校の同級生の家、あの辺りは工場のあったところ…。
トラックが慌しく行きかって、ここは一体どこなんだか、わからなくなりそうでした。

海岸の自宅跡も行きました。とてもただいまっていえませんでした。
道路の盛土工事が進んでかさ上げされ、その分だけビルの跡は沈み込んで、
水が溜まって、ハエを沢山見かけました。(でも巨大ハエではなく、小振りのハエ)
役場や生涯教育センターが異常に近く感じられました。

国道を渡った酒井書店の辺りに、
家のビルの破片の山(らしきもの)を発見し、​ふたつ持って帰りました。
五歳から住んだ家。私のものをしっかり持って帰ってきました…。

ツイッタでお世話になった方々にほとんど初対面でお会いし、
みなさんが素敵な笑顔で迎えてくださったのはとても嬉しいものでした。

プールサンダル支援で女川サポーターの方々にご協力いただいた物資の確認に
女川第二小学校にも行きました。
確かにサンダルは届いていて、サイズ分けされ、職員室前に置かれていました。
前日(25日)に保護者にメール配信し、取りに来るように情報を流したと阿部教頭先生からお話を聞きました。

「ふんばろう」さんから個人的に送られた方には、直接お礼が届くそうです。
「復興市場」さんから送られた方は後日ブログにお礼が掲載される予定です。
ご協力ありがとうございました!

女川は海も山もいつもの静かな姿で何も変わっていませんでした。
やっぱり私の家はここだなって思いました。

本当に女川は何もないです。被災地全体そうです。
今朝も女川の後輩達がツイッタで忘れられるのが怖いと言っていま​した…。
でも反面、女川出身で仙台在住の同級生は仙台で普通に暮らしてい​ると、
女川が今でも大変って事を忘れてしまう…と言っていました。
それもそうだなって思います。

東京に戻っても考えるのは女川のことばかり、
おとといも夜、一人で津波の映像を眺めていました。

女川ってほんとにいいところだなって、
つくづく思う毎日です~。
☆写真は町立病院駐車場 私と父と主人 子どもが撮影しました。
長くなってしまいました。
どうしましょう~。
撮影・記事:@DAIMONJIMATAKO

実家解体

震災と津波に耐、ついこの間まで残ったいた実家が解体された。
あの津波は、実家のリフォームを検討していた矢先の事だった。津波で二階まで浸水したが、大工は家に狂いが無いのでリフォーム続行可能と言う判断だった。
10月には亡き父の三回忌も控え、それまでには見違えた家になっているのだろうと思っていたが、養殖設備も魚も流され、多額の借金だけが残った兄にとって、家のリフォームに多額のお金は掛けられないと言う判断だったのであろう。
残念!改めて何もない!涙・・・

 

本日の女川魚市場

【女川魚市場情報】今朝は刺網の鱈と、釣物の鯖がありました。この後刺網のアイナメや平目や鰈類にアワビの水揚もあります。