私の日記 DAIMONJIMATAKO

昨日は女川の同級生のお母さんが東京で避難生活をしているので会いにいった。新宿で都営新宿の乗り換える時、伊勢丹の前を通ったのでお土産に高政の蒲鉾を 買いました。以前、池袋で購入した志津川わかめとセットでお渡ししたらお喜び。80年近く住んだ女川。思いがけない東京暮らしに慣れようと懸命。
”うみねこタイムズ”もお渡ししました。編集長のエンピロさんのお母様の事もご存知でした。大正時代は駅辺りまで海だったそう。私のツィートとより、お若い方々へおば様のお話をツイートしたい位。おば様は六年かけて女川の古文書の解読もされました。楽しげに当時を語るおば様は輝いていた。前向きな姿に感動! @DAIMONJIMATAKO

兄の船(宝船)

あの震災以降、兄から吉報が届いた。「三艘ある船の内、主力の船が「出島」まで流され、無事見つかった!」と言うことだった。 今回の津波で大方の漁民の船は波にのまれ、岩や岸壁に叩き付けられ大破した。そんな中、兄の船はほぼ無傷で見つかった。 奇跡だ!!津波に船がさらわれる様を目撃した方によると、太いアンカーロープ、3~4本で繋がれているそのロープを”ブツン”、”ブツン”と大きな音を発てて切れていくのだそうだ。ロープの太さを見ている私には信じられない思いだ。
そして、運良く沖に流された船は、波が引くと同時に陸地に置き去りにさ、助かるのだそうだ。問題は置き去りにされた船を海に戻すには大型のサルベージ船が必要だった。このサルベージ船の予約に長い時間を要し本日至った。兄にとってこの船は揺り篭であり、正に「宝船」だ!、喜びも一入であったであろう。

 

震災から二ヶ月後の女川

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GW(ゴールデンウィーク)、女川へ帰省した。震災から二度目の被災地入りである。
その後、道路も大分整理されていたように思う。多少雨なども降ったせ いか、埃や臭いもかなり減ったように思うがまだまだ悲惨な状態だ。前回来た時も思ったことだが、町と言うのは建築物が無いと方向感覚が無くなる。そして、 町のスペースがとても小さく思える。不思議だ・・・女川町立病院より女川を一望、鉄筋コンクリートの共済会館です。
無残にもなぎ倒されている。倒れる方向は海側に倒れている。如何に引き波が強いかを証明している。唯一残った「マリンパル女川」では多数の方が助かったようです。湾の奥には故郷に帰ると必ず立ち寄る「崎山展望公園」が見えます。この写真でも分かるように水面が陸地とほぼ一緒です。約80cm程沈下したようです。我が学び舎「女川第一中学校」、今は避難所となっていた。

環水平アークと桜

五月三日、被災した実家の庭付近からとても珍しい現象が見えた。女川上空に「環水平アーク」と言う現象が起きていた。まるで被災地の復興を願っているようだ!この震災を見ることなく逝った父よ!見ていてくれ!兄貴たちはへこたれてはいない。「復旧・復興」に向けて益々血気盛んだ!必ず復興する!

目の前の桜は叔母さんが植えた桜です。帰省すると自慢げに話していました。その叔母さんはこの近くで津波の犠牲になりました。桜は見事に咲いたそうです。

崎山展望公園

女川から国道398号を雄勝方面に向かう途中にある”崎山展望公園”です。
標高50m程にある小さな公園ですが、女川湾と太平洋が一望できる眺めの良い公園です。金華山や江ノ島・平島・二股島等、震災でも取り上げられた笠貝も展望できます。震災以前は女川のシンボリックな紅白の灯台が見ることが出来ました。女川~金華山を結ぶ客船や行き交う漁船をゆったりと眺めることが出来ます。
※付近にある”御殿峠”(標高250m)からの眺めも絶景です。また、桜の時期は女川から雄勝方面に向かう国道398号(ブルーライン)線沿いの桜街道は見事です。

太平洋を望む
太平洋を望む
地震の爪跡
地震の爪跡
崎山展望公園
崎山展望公園
シンボルの防波堤が無い
シンボルの防波堤が無い
女川湾
女川湾
前方には金華山
前方には金華山

染井吉野が終わり、八重桜が咲き掛けていた。遠くには「金華山」も見える。小さな々公園です。※震災後は地割れもあり立ち入り禁止となっていた。

 

被災地(女川)に行って感じたこと

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3月27日、地震と津波から16日目にしてやっと被災地、「石巻・女川・雄勝」に行ってきた。そして、本日29日妻の両親を連れて帰って来た。私の母も連れて帰って来ようと思っていたが、病床に付く妹の病状を気遣い、まだ離れたくないと言うことだった。
被災地は、想像を絶する惨状で、言葉にいい尽くせない状態だった。町や村がそっくり無い状態だ。更に気になったのが、町を車で走っていると、車道と海の水面が、ほぼ一緒と言う感じだった。今回の地震でプレートがずれて沿岸が約80cm沈下したらしい。復興には構造物を単に再建するだけでは無く、桟橋や土地の造成が必要であり、莫大な費用と時間が必要になるだろうと思った。
私の家族はそれぞれ、兄弟や親戚の家に避難しているのでまだ々良い方である。しかし、避難所に避難している方のご苦労はその苦痛に耐がたい状況である。一日も一刻も早く国の救援が必要だ。被災して既に二週間ほど経ち、被災者の中には親や兄弟を亡くした方、未だにその安否が分からない方々も多いことでしょう。こういった被災者が肉体的にも精神的にも追い詰められ、二次災害を起こしかねない状況にあるのが今の被災地の現状だ。青い空と瓦礫の山があまりにも対照的で、何事も無かったかのような青い空がとても印象的だった。自然の力は恐ろしい。

被災した実家

震災後、妻と私は双方の両親と兄弟の安否確認をあらゆる手段を使って行ったが、全く音信不通であった。最終的には、Webサイトを立ち上げ、 「Twitter]と「Google Person Finder」を連携して3月17日にやっと双方の家族が全員無事らしいという情報を得た。しかし、その時点でも、直接連絡がとれているわけではないの で、半信半疑だった。とにかく物資を届けなければと生活用品を買い、いつでも被災地に行けるよう準備しているところだった。しかし、被災地はインフラが整 備されていないようで、こちらから行ったとしても帰りのガソリンが確保できないような状態だったので、一度は断念し、3月27日の帰省となった。

実家は大掛かりなリフォームを開始する直前で、一人家にいた姪はその大工さんのお陰で、二階の屋根まで避難し、九死に一生を得た。大工さんによれば、リ フォームは続行可能と言うことだそうですが、兄は建替えを計画。しかし、行政から許可が出るか未だ分からないそうです。津波は二階の屋根まで到達し、漂流 物で破損している!恐ろしい。