「宮城県女川町[蒲鉾本舗高政]復興への記録 2011年_整理棚完全保存版」


「宮城県女川町[蒲鉾本舗高政]復興への記録 2011年_整理棚完全保存版」
2011年3月から12月までの「2011年版」をまとめました。
各月の「宮城県女川町[蒲鉾本舗高政]復興への記録_整理棚」の2011年分全部です。量が多くて、どれから見ればいいか躊躇してる皆様、これ自体にお気にいりやブックマークつけると探しやすいですよ。なくさないように保存しておいてくださいね。
魚住陽向uozumihinata(2012.01.01)

「宮城県女川町[蒲鉾本舗高政]復興への記録_整理棚 2011年12月」→ http://togetter.com/li/235376
「宮城県女川町[蒲鉾本舗高政]復興への記録_整理棚 2011年11月」→ http://togetter.com/li/222595
「宮城県女川町[蒲鉾本舗高政]復興への記録_整理棚 2011年10月」→ http://togetter.com/li/209540
「宮城県女川町[蒲鉾本舗高政]復興への記録_整理棚2011年9月」→ http://togetter.com/li/195111
「宮城県女川町[蒲鉾本舗高政]復興への記録_整理棚2011年8月 」→ http://togetter.com/li/180170
「宮城県女川町[蒲鉾本舗高政]復興への記録_整理棚2011年7月」→ http://togetter.com/li/167975
「宮城県女川町[蒲鉾本舗高政]復興への記録_整理棚2011年6月」→ http://togetter.com/li/158713
「宮城県女川町[蒲鉾本舗高政]復興への記録_整理棚2011年5月」→ http://togetter.com/li/158709
「宮城県女川町[蒲鉾本舗高政]復興への記録_整理棚2011年4月」→ http://togetter.com/li/158662
「宮城県女川町[蒲鉾本舗高政]復興への記録_整理棚2011年3月」→ http://togetter.com/li/158654

編集後記:震災直後の女川は何から何まで津波に流された。「人々が繋がって支え合い、助け合う」ことの大切さをこの一年間十分に感じた!「高政」とその仲間達の活躍は女川の復旧と復興に多大な貢献をした。皆さんご苦労様でした。
そして今年は復興元年とし、皆でがんばっペ!

東京ラーメンショーに宮城・五福星と女川・高政

東京ラーメンショー2011で宮城・五福星と女川・高政のコラボレーション!
東京ラーメンショー
五福星のブタみそらーめん!エビのコクと山叶味噌が抜群の相性。すごく美味しい!笹かま、どんどん出てました。早坂さん、本当にありがとうございます!

ありがとうございます! RT @kawarikomono: @takamasa_net 昨日駒沢公園のラーメンショー行ってきました!焼き笹かまぼこを手にしてる人沢山見ましたよー。

記事・写真蒲鉾本舗高政takamasa_net
五福星(うーふーしん)【宮城】
五福星 宮城県仙台市泉区野村字馬場屋敷11-2 ☎022-218-5869

高政「わざび焦がし醤油」

女川の高政さんに行って、かまぼこの手焼きを体験。焼きたてのかまぼこにふりかけるスパイス、「わざび焦がし醤油」がとってもおいしい!パウダーなんです よ。こんなふりかけるだけのスパイスまで独自に開発してるんですね。わさびじょうゆもいいけどこれもいいなあ。工場見学もできて楽しい~。
記事・写真manboupukupuku

女川「高政」に中村雅俊さん

蒲鉾本舗高政 女川本店万石の里に中村雅俊さんが遊びに来てくれました!完成後初めての訪問ということで、とても喜んでいただきました!
記事・写真蒲鉾本舗高政takamasa_net
編集後記:「女川マリンパル」名誉館長の雅俊さん、ここぞふんばれ!がんばっペ!

祝!高政「女川本店万石の里」プレオープン!

高政女川本店万石の里内部一挙公開!

 

祝!蒲鉾本舗高政万石工場オープン!

9月1日本格稼働開始の蒲鉾本舗高政万石工場です。震災の影響で約3か月の遅れとなりました。女川復興の拠点となるよう、頑張ります!
今日も元気に、れっつかまぼこ!
記事:蒲鉾本舗高政takamasa_net

16年前の阪神淡路大震災、当時学生だった「高政」の息子、正樹さんは、ボランティアとして被災地を何度も訪れた。以下、神戸新聞から抜粋
「神奈川大生だった1995年、神戸の被災地を何度も訪れ、がれきの片付けや避難所の炊き出しを手伝った。「できることがあるなら行かなきゃって気持ちだった」と振り返る。」神戸新聞より
今、女川に於いて「高政」の存在はとても大きい。震災直後は自らも被災者でありながら、熱々の蒲鉾10万枚以上を提供し町民を支えた。そして、町や仲間の水産加工工場の為にも女川町復興のシンボル的存在として現在も精力的に頑張っている。